こんにちは。
ライターのさよです。
こちらは、私の自己紹介の記事です。
私は関西大学を卒業後、
そこそこ大手で販売職につきます。
が、超ド級のブラック企業でした。
毎日16時間労働を強制される。
過労死する人もいて、
裁判沙汰にもなっていた。
マジでイカレタ会社でした。
それでも、1年は頑張りました。
でも、気づいてしまったんです。
早朝から夜まで休みなく働く上司を見てたら
「私、ここで何十年も働くの」
「仕事ばっかで結婚できないよ」
「子どもも持てないよ」
「てか、体か心を壊して働けなくなったらポイだよ」
そんなのイヤだーー!!!!!
心の底からそう思いました。
どうせ働くなら
『むくわれる仕事をしたい』
と強く思いました。
そこから私は自分の人生を模索しはじめます。
何にも縛られず
心も体も自由で
お金もたっぷり稼げる。
そんな夢みたいな働き方ができないだろうか、と。
そして、たどり着いたのが『ライティング』です。
今ではライター歴10年。
フリーランスとして働き、自由を謳歌しています。
働いたら働いた分だけお金がもらえる。
収入は会社員時代の何倍にもなりました。
結婚もできました。
子どもも授かりました。
場所にも時間にも縛られず
心も体も金銭的にも自由になりました。
毎日が休日。
仕事をしても、お昼寝をしても
買い物に行っても、旅行に行っても
家でごろごろゲームしてたっていい。
なんと言っても、
子育てしながら自分のペースで仕事ができるのが最高です。
『ライティング』のおかげで
かつて夢見た働き方を叶えることができました。
最近、特によく聞かれます。
- 「どうやってライターになったんですか?」
- 「子育てしながら月200万円、どうやってそんな状態に?」
だから、
私がどうやって今の状態になったか
全部お話ししようと思います。
なぜ、情報発信をするのか
ライティングを教えるのか
私の人生をかけたプロジェクトとともに
書き綴っていきます。
私は本当に特別な人間ではなく
むしろ、どちらかというとポンコツ…
誰だって、どんな状態からだって
変われることがわかると思います。
※子ども時代のことも、いずれまとめるのでお待ちください。
人生をかけたプロジェクトについてはYouTubeでも語っています。
https://youtu.be/qkzmakCWRhM?si=tPG5n0fgD50n8BrH
ブラック企業を辞めてからライターになるまで
STEP1:超ド級ブラック企業の販売職
↓
STEP2:特級ブラック企業のショップ店員
↓
STEP3:一級ブラック企業のライター見習い
↓
STEP4:初級ブラック企業の編集&ライター
↓
STEP5:すべてが自由なフリーランスライター
実はけっこういろいろあって、
こんな感じで今にいたります。
ぶっちゃけSTEP1から
またはじめろって言われたら
「いや~ちょっとキツイ」って思う。
だからこそ
『ライティングを身につけて稼ぐ』を
少しでもショートカットできるよう
コンサルで教えるということをしている。
ぶっちゃけ月3万円だって
ライティングで稼げると世界が変わる。
金銭的な自由がふえるし
心にゆとりができる。
場所にも時間にもお金にも縛られず
自由に生きられる幸せに近づいている。
その実感だけで
毎日がキラキラ輝きだします。
STEP1:地獄の販売職
新卒で入った会社は
1日16時間労働を強要される
超ド級のブラック企業でした。
入った当時は
一生をともにする覚悟でした。
だから悩むかどうかかなり悩みました。
でも、気づいたんです。
毎日当たり前のように夜まで働く上司の姿を見て
「ここは私の場所じゃない」と。
気づいて目が覚めてからは
スパッと会社を辞めました。
次の日には周りに辞めることを伝え
次の週には退職届を出して
速攻で有給消化に入りました。
ちなみに、どんだけ酷かったかというと↓
・毎朝5時出勤(パートアルバイトも)
・夜は店が終わるまで(店によるけど21時とか)
・24時間店で働け、じゃないと一人前と認めんと言われる
・あ、もちろん全部サービス残業で(皆タイムカードは定時で押す)
・本社が働き方改善はじめても、本音と建て前と言い張る(だからサービス残業しろってマジ?)
・そのくせ本社には言うなよと堂々と脅してくる
・サービス残業が足らんという理由でボーナスカット
・売上前年比30%アップさせても問答無用でカット
・一般的な感覚では頭おかしいほど働いてたけどそんなの関係ねーらしい
・女は体力ないから、男より劣ってるらしい
・それなのに男女で給料同じでおかしいらしい(だからサービス残業&ボーナスもカット当たり前って?)
・キッチリ教えを守る真面目な男の子はゾンビみたいになってた
・私も夜になると意識もうろうとしてたとき何度もある
朝は始発で会社へ。
夜はヤバイ上司にバレないよう、おそるおそる退社。
帰ると知られたら、ごちゃごちゃうるさいから。
それでも16時間とか働いていました。
家に帰ったらとりあえずご飯。
気づいたら床で寝てて夜中の2時。
(朝まで床で寝ていることも)
そこからお風呂に入ってベットで寝て
また始発で会社に向かう。
そんな毎日でした。
たまの休みはもうクタクタで
一人暮らしワンルームの狭い家で
ひたすら寝てるかボーっとしてた。
本当に、
1年で目が覚めて辞めれてよかったです。
過労死する人が
当たり前にいる会社でしたからね…
STEP2:特級ブラック企業のショップ店員
1か月の有給をもらい
今までの疲れをいやすべく
ダラダラと一人暮らしを謳歌。
する一方で、
会社で働くのがすっかりイヤになり
「ひとり自由に働きたい」
そう夢をみるようになります。
そして、
ネットで良い方法はないかと探し
できそうなものに手当たり次第に
チャレンジもしていきます。
・ブログ
・投資
・物販
・WEBライター
・テレアポのアルバイトまで
※副業遍歴については、また別の記事にまとめますね。
販売職をしていたので
自分のお店を持てたらな。
そうも思いましたが
貯金なんてほどんどないです。
調べてみると
何百万と必要ということで
当時の私はムリだとすぐ諦めます。
貯められる気がしなかったんです。
でも…
ネットショップならできるのでは。
実は、大学時代に
ネットでアクセサリーを売っていたことがあります。
無料でつくれる
ショッピングサイトで
自作したピアスとかを売っていました。
当時はまだ
『minne』みたいなハンドメイド専用の
販売プラットフォームもなかったですからね。
ということで、
将来自分でネットショップを
運営できるスキル・ノウハウがほしい。
次はネットショップ関連の
仕事ができる場所で働こう
就活の方向性が決まりました。
とにかく
当時はお金がなかったので
販売職の私でも
すぐに採用してもらえるところ。
その上で、わずかでもいいので
ネットショップ関連の仕事もできるところ。
この二軸で仕事探しをします。
そして見つけたのが
『靴の接客販売』の仕事。
ネットショップもスタートしたいので
ネットショップ運営者も募集してます。
という文字に惹かれて応募。
面接から採用まであっという間に決まり
すぐに働けることになります。
ところが蓋をあけてみると…
まずは『靴』の知識をつけないと
ということで販売の現場に配属。
靴の接客販売をさせられる日々。
なんだかんだ
3年ぐらい働きましたが
ずっと接客販売員してましたね。
でも、実は後悔とか
恨む気持ちはぜんぜんないんです。
むしろ、
お客様と一対一で向き合いあ
商品を売るというお仕事の面白さに
どんどんのめり込んでいきました。
めちゃくちゃ
セールスが上手い先輩も
ごろごろいましたからね。
セールストークと
現場で実際に見ながら
学ばせてもらう
とても貴重な体験を
させてもらいました。
こう見えて、私も接客販売
そこそこ上手かったんですよ。
お店で個人売りトップになったことも
1回や2回じゃないです。
一生けん命に対応したお客様が
私のすすめた商品を笑顔で買ってくれる。
なんなら、
すごく履きやすいピッタリの靴を
選んでくれて「ありがとう」
と感謝されたりする。
なかなか体験できないない喜びです。
仕事自体はとても楽しかったのですが
引っかかるのは
・労働時間
・年齢制限
・給料の低さ
ショップ店員が働くのは
店の営業時間だけじゃないです。
開店準備、閉店準備
月1は閉店後に会議もある。
実質、朝8時から夜12時まで
働いているなんて日も普通にありました。
でも給料は
店の開店時間分しかもらえません。
本当に、おかしな世界です。
そして、年齢制限。
別に就業規則とかであるわけではないですが
やっぱり若い女の人しか必要とされない世界です。
30歳すぎても活躍している
先輩なんてほぼいませんでした。
唯一いた数名の先輩も
なんか可哀そうな目で見られていたし…
なんで、30すぎてショップ店員してるの?
結婚しないの?(結婚できないの?)
他の仕事に変わらないの?(転職できないの?)
と、裏で言われていたりしました。
まぁ、
長時間労働なうえに
立ちっぱなしで体力が必要ですし
なんと言っても給料が低すぎますからね。
30すぎてもやるような仕事ではないです。
ショップ店員時代の給料は
手取り15万弱。
でも、
店の靴を季節ごとに買わないといけなくて
購入代金が給料から引かれていたから
ひどいときは
手取り11万円とかありましたよ。
接客販売するだけあって
店に並べられているのは
1~5万円の高級シューズでしたからね。
高級店であっても
ショップ店員の給料は激安なんです。
接客販売、セールストークという
唯一無二のスキルが求められるのに。
なんとも世知辛い世界です。
仕事は好きだけど
ずっとは働けないな。
そう思っていました。
なので、
私の店に来た新人の店長が
ちょっと問題のある方で
一緒に働きたくないな
と思ったタイミングでやめました。
その店長、細かい部分でも
気になることはあったんですが
一番、インパクトあったのが
私の個人売りをちょろまかして
自分の売上にしていたこと。
なんでこんな店長の下で
働かないといけないんだと思って
スパッと辞めました。
STEP3:一級ブラック企業のライター見習い
実は、ショップ店員を
潔く辞められた理由がもう一つあります。
それは、
憧れの仕事で就職がきまりそうだったから。
店長がいやで次の仕事を探すかていで
広告制作をするプロダクションから
面接に来ませんか
と、個別のオファーをいただいていたのです。
ポジションは
『ライター』でした。
職務経歴書に書かれている
文章がとても上手かったから
という理由でご連絡いただいてました。
なんでただのショップ店員だった私が
こんなチャンスをつかめたのか…
※考えられるのは○○しかない。長くなりそうなので、こちらは別記事にします
突然の幸運により
私はライターへと転身します。
当時、26歳ぐらい。
ショップ店員の経験をへて
やはり、ひとりで自由に働き生きていける
そんな状態が理想だと再認識します。
文章で生きてい力
それさえ手に入れば
理想の未来が手に入る。
ライターという職業でスキルを身につけ
いずれ独立して自由になるんだ。
そのために、絶対にこの職場で成功してみせる。
めちゃくちゃ息巻いてましたね。
で、どうなったかというと
驚くほどの、大失態…!!!
をかましましまくる結果になります。
まずね。
私、オフィスでの仕事が初めてだったんです。
常に売り場に立って、
何をどこに配置していくらで売ろうか…
次の仕入れは何をいくつしようか…
ポップはどうしようか…
という感じで
売り場管理の仕事をするか。
お客様の接客をして
ぴったりの靴を提案するか。
しか、やってこなかったわけです。
もうね、
しーーーーーーん…
と静まり返ったオフィスで
椅子に座っているというのが
違和感で、違和感でしかたがなかった。
それまでは常に誰かが
喋っているような環境だったのに
今は誰も喋らないんですよ。
「わからないことはすぐ聞いてください」
と言われていたけど
誰も喋らないなかで
話しかける度胸なんて私にはなかった。
しかも、
直属の上司は微妙に席が遠かった。
聞きに行こうと思うと
けっこうな距離を移動しないといけない。
それもあって、なかなか聞けなかった。
プロダクションのボスみたいな人にも
「何でも聞いてくれていいから」
と言われてはいたけど…
ずっと忙しそうにしているし
席にいるときはメッチャ怖い顔してるし。
カタカタターン !!!
って凄いスピーとでタイプんグしているし。
しかも、他の方が質問をしに行くと
「で?」「だから?」「それが?」
という感じで、
めちゃくちゃ塩対応なんですよ。
返事につまったら
「なんで確認してないの」
てな感じで超絶つめられてるし…。
何度か
「わからないなら聞いて」
って怒られたこともありましたが
けっきょく、怖すぎて
一度も頼ることはできなかったですね。
なんだかんだ
このプロダクションは1年もたたず
退職することになります。
ようするに、クビですね。
今ふり返ると
仕方ない部分はありますが…
ライターを一生の仕事にするんだ。
決意みなぎっていた矢先のことだったので
ショックでショックでガチ泣きしましたね。
普段から
未経験のクセに何も質問しないし
ぜんぜん仕事できないし
お荷物だったのは間違いないですが
クビになる決定的なできごとは
2つありました。
せっかくなので、バクロしましょうか。
まず1つめ、
お客様に書類を送る仕事を任されたのですが
なんと、一番重要な書類を入れ忘れて送っていたのです。
しかも送り先は数百とかだったので
再送するのに+10万円経費がかかったとのこと。
謝罪の電話も入れないといけなかったし。
我ながら酷いです。
人生で初の始末書も書きました。
でもこれは
私ひとりでやっていた仕事ではなく
新人3人で担当した仕事なので
厳密には私のミスかどうかはわからないです。
当たり前ですが、入れ忘れた自覚ないですし。
で、もう一つの方
これが決定的だったんですが
商業施設の販促企画を担当していたのですが
突然、取引先のクライアントから
もう来てほしくない
と言われてしまったのです。
つまり、出禁ですね。
ハッキリ言って、
私の何がそんなに気に入らなかったのか
いまだにわからないです。
もちろん、
新人で仕事はポンコツでしたでしょうが
クライアントを怒らせるようなこと
とんでもなく不快にさせるようなこと
取り返しのつかない失敗
こういうのは、してなかった。はず。
何より、私ひとりで担当はしておらず
チームで仕事をしていたので
新人の私はクライアントと
そんなに関わることもない。
名指しで出禁になるようなこと
思い当たらないんですよね。
これも、
クライアントから直接は言われておらず
怖い顔のボスから伝えられたとのことなので
真偽のほどはわからないです。
とはいえ、
「クライアントから、あなたは出禁と言われました」
「他にあなたができる仕事はないです」
「辞めてくれませんか?」
と、ボスから言われたのは事実。
こんなふうに言われて
つづけられるわけないじゃないですか。
私は泣く泣くその会社を退職します。
あ、ちなみに
この会社もなかなかのブラックでしたよ。
朝9時半~夜11時と
終電までエンドレスとうのが
わりと普通でしたね。
この世には
ブラックな会社しかないんかい。
日本どうなってんねん。
と改めて思いました。
STEP4:初級ブラック企業の編集&ライター
会社員でライターとして働く中で
実力をつけてフリーになる。
そんな計画が
あえなくおじゃんになりました。
本当に途方にくれましたね。
もちろん、
ライターとして転職したかったです。
なぜなら
文章が上手いという理由で採用されただけあり
たしかに自分に向いている職業だと感じました。
何より、
自分の望む未来を叶えてくれる仕事でもあります。
ライティングをものにできるまで
10年かかってもかまわない。
一生の仕事にしたい。
そう思っていたんです。
でも…
ライターという職業
求人募集しているのなんて見たことない。
ほぼ未経験の自分が
フリーランスとして活躍できるわけもない。
もうあきらめて、販売職にもどるべきか?
でも…
販売職に戻ったところで先がない。
長時間労働で自由がなく
理不尽な目にあいながらも
低賃金で奴隷のように働かされる。
そして、
心か体を壊して働けなくなったらさようなら。
そのころには、
もう若くもないし結婚も難しいだろう。
私の人生、ゲームオーバーじゃないか。
暗いトンネルの中にいるような気分でした。
ハローワークで対応してくれた
スタッフさんにも
「1年もたたずクビになった
私なんかに仕事ありますか…」
と愚痴ってました。
「大丈夫ですよ。まだ若いですから」
と励ましてもらいましたが
「でもライターやりたいんです。ライターのお仕事なんてないですよね」
って逆切れして困らせてました。
どうしようもないです。
諦め半分ではありながら、
でも貯金ないしということで
義務的にハローワークに通う日々。
実は、ライターの仕事は
少ないですがなくはなかったんです。
でも、どれも経験年数3年~とかでした。
ライターに限らず
手に職系の仕事は
経験年数〇年~というケースが
けっこう多いです。
そして、アッという間に1か月。
やっぱり自分にできるような
ライターの仕事は見つからなくて
もう別の仕事に就こう
と思っていました。
でも、最後に1回だけと
特に期待もせず「ライター」で検索をかけてみる。
編集・ライター 未経験OK
パッと出てきた文字に
一瞬、理解ができませんでした。
え
ウソでしょう。
今まで何度も検索しても出てこなかったのに。
なんで?
わからないですが
諦めた瞬間に未経験OKの
お仕事が出てきたんです。
それも3件ほど。
どれもちゃんと正社員として
雇ってくれるというものでした。
本当にこの世は不思議なんですが
諦めた瞬間にチャンスがやってきたりします。
もうダメだ…
と思ってからが本番なんですよね。
そして、
急ぎ3社へ応募して面接を受けました。
2社から採用通知をもらい
私は出版社の編集記者となり
月刊誌をつくることになります。
さまざまな企業様へ取材に行き
話を聞いてまとめて
特集の企画をし
原稿をつくり
ラフをつくり
デザイナーさんに投げる。
完成したデータは
何度も何度も校正し
一字一句、デザインも
間違いがないか確認し
OKなら
印刷に回して
出版を待つ…
というのを
まるまる6年してきました。
ビジネス記事の企画の中で
ビジネス漫画をつくるというのにも
挑戦しました。
特集記事だけでなく
コラム記事も何百と書いてきた。
お便りコーナー
雑学漫画コナー
アンケート調査
も担当したし
書籍づくりにも携わった。
ポスター制作
自社HPの更新もしてたなぁ。
編集長になってからは
表紙づくりと編集後記も
任されました。
本当に、
ありとあらゆる仕事を経験し
今の私の
ライティングのスキル
ライティングへの向き合い方
大事なものは全てここで教わりました。
今まであったこともないほど
文章が上手い超ベテランライターさんも
ゴロゴロいるような環境で
私が手に入れたかった
『本質的なライティング』
『職業としてのライティング』
『生きていくためのライティング』
を学ばせてもらいました。
ぶっちゃけ、
一生をここで働くつもりでした。
完璧なホワイト企業ではなかったですが
今までの会社と比べるととても誠実でした。
朝9時~17時までの勤務で
取材や締め切り前はやはり残業はありましたが
既定の時間で退社しても
文句を言われるような環境ではなかったです。
編集長兼、取り締まり役でもありましたから
ゆくゆくは私が会社の代表になって
ホワイトな会社へと変えていく。
そして、
正直、出版業界は厳しく
売上は低迷していましたが
私が社長になったら
集客から販売までを徹底的に見直し
売上も伸ばしてやるんだ。
私が改革してもっともっと
良い会社にするんだ。
そういう気概で仕事をしていました。
でも…
私は出版社をやめ
フリーランスとして
再スタートを切る決意をします。
STEP5:すべてが自由なフリーランスライター
編集長にまでなったのに、
なぜ出版社をやめたのか。
些細な理由は無数にあります。
当時、新しくなった社長とうまがあわなかった。
会社を改革しようとしている私のことを
疎ましかったのだろうなと思います。
残業代が出ないこと
労働規則のことなど
何度か見直しを打診しましたからね。
私はもらえるお金を増やしたいとか
会社の利益を少なくしたいとか
そんな気持ちはあまりなくて
ただ、
とりあえず形だけでも
法にのっとったものにしましょう。
というだけの主張だったんです。
だって、
取り締まりをしている会社が
なんかグレーなやり方をしているなんて
なんかイヤだし不安材料じゃないですか。
でも、そのあたりが
あまり伝わってなかったんでしょうね。
社長は忙しいだろうから
私が担当になって整備します。
と言っても
なんかうやむやにされるし
「小さいくせに(若いという意味でよく言われた)」
「そんな身分じゃないだろ」
「なまいきだ」
みたいなこと、
裏で言われていたみたいです。
若いといっても
もう30代でしたし
会社では一番のベテランだった。
仕事も誰よりもこなしていたし
実力もあったはず。
実際「一番頼りにしてる」
と声をかけてもらったこともあり。
嬉しかった。
だからこそ、
裏では入社した当時20代のままの扱い
というのにショックでした。
新しい社長は
たぶんあと20年とかやめないだろうし。
取り締まりになったからって
会社を変えられるような権限はないみたい。
そう思うと
急に未来が色褪せました。
このまま、
この社長のもとで
一生を終わるのかな。
そう思っていた時に
もう一つ大きな事件があります。
流産です。
出版社時代に結婚し
そろそろ子どもが欲しいね、と
話すようになり気づけば3年。
子どもできないのかな…
諦めかけていたときにようやく妊娠。
すごく嬉しかったですが
心臓の音が確認できず
たった1か月で流産となりました。
ショックでした。
つわりもありましたが
なんとかいつも通り
頑張って仕事をしていたのに
何だったんだと思いました。
手術をしないといけないかもしれない。
お医者さんにそう言われたので
社長にだけ流産のことを伝えました。
でも、
なんだか他人事みたいな対応でした。
手術予定の前日
仕事で私だけ会社に残っていました。
社長も、皆も、定時で帰っていきました。
よくよく考えたら
私ばかりが頑張って
働いているように思えてきました。
月刊誌は全72ページですが
半分以上が私の記事というときも
ありました。
毎年恒例の
一番大変な特集があったのですが
「信頼できるから」
という理由で常に私が担当でした。
大変な特集を担当している期間も
別に他の仕事が少なくなるわけじゃないです。
毎年毎年、
皆が連休で休んでいる間に
こっそり会社に来て仕事していました。
給料は、低迷している出版社ですから
会社員の平均よりも少ないぐらいです。
他の社員よりは高いでしょうが
せいぜい数万円ほどでしょう。
どんなに一生懸命働いても
給料は同じなのに
何しているんだろう。
そして、
私が本当に目指したかった未来を思い出します。
自由に働き
十分なお金を得る。
心も、体も、金銭的にも
自由な状態になる。
そんな未来を
手に入れたかったんじゃないか。
そのために、ライターになって頑張ってたんじゃないか。
フリーランスになるんじゃなかったのか。
そうだ、そうだった。
私は私の本当の望みに立ち返り
フリーランスとしてやっていく決意をします。
そして今…
ライターとしての経験があったとはいえ
けっして簡単な道ではなかったです。
それでも
目の前の仕事を誠実にこなすなかで
月10万、20万、30万と
安定して
フリーのライターとして
稼げるようになっていきます。
そしてなんと、
独立して半年ほどで再び妊娠。
またも、
つわりはめちゃくちゃキツかったですが
なんとかライターとして働きながら
無事に出産。
ありがたいことに
子どもができても働いてほしいと
クライアントさんに言っていただけ
3か月ほどで仕事復帰。
0歳児を育てながらでも
月40万円と売上を伸ばしてきました。
そして、
子どもができたからには
個人で稼ぐ力もつけたいと
X運用を開始、kindle出版も果たし
1年がむしゃらに頑張る中で
売上200万円を突破。
ライティングを武器に
場所にも、人にも、時間にもしばられず
自由に働きながら
十分すぎるお金が入ってくる
そんな、かつて夢見た理想の未来に
気づけばたどり着いていました。
心、体、お金、
すべてが自由な状態を手に入れていました。
私は、本当に運が良かったんだと思います。
タイミングにも恵まれ、人にも恵まれ
ここまで来ることができました。
もともとは、手取り11万のショップ店員。
子ども時代は、人前でひと言も話せない
クラスでもっとも地味な存在。
そんな私には
ありがたすぎる幸運の連続で
今があります。
だから、
私がたどってきた道
ライティングを武器にする
その方法を教えてもいます。
今の私は
子どもが生きる未来の日本が
少しでも良くなってほしい
それが一番のモチベーションです。
そのためにも、もっと頑張らないといけません。
私自身、もっと稼ぐ力をつけたいですし
かつての私と同じように
会社員をしていて不満だったり悩んでいたり
そういう人たちに
個人で稼げる力、豊かになれる力
としてのライティングを伝えていって
自由とゆとりをつかみ取ってもらいたい。
「なんでこんな酷い会社が当たり前に存在してるんだ」
と、私が絶望したようなブラック企業をなくすためにも
「今の日本に生まれてくる子どもがかわいそう」
なんていう人を一人でもなくすためにも。